「ブラジルのサンバ」と聞くと、大音量の音楽と派手な衣装で踊る女性をイメージする方がほとんどではないでしょうか?しかしブラジルで「サンバ」と言うと、必ずしも日本人がイメージするサンバであるとは限りません。
そこでこの記事では、ブラジル留学中に現地のサンバライブに頻繁に行っていた僕が、サンバの知られざる歴史やサンバの種類について詳しく解説します。実際に有名な曲もご紹介しますので、「そもそもサンバってどんな音楽のことを指すの?」という方はぜひ参考にしてください。
- サンバ発祥の背景には黒人奴隷の存在
- サンバとして生まれた一番最初の曲とは?
- リオのカーニバルはサンバの一種に過ぎない
- ブラジル人と仲良くなれる!超有名なサンバ5選
ブラジルのサンバとは?黒人奴隷から始まった歴史
サンバが生まれたのは、今から約100年以上も前のこと。その背景には、アフリカからブラジルに連れてこられてきた黒人奴隷の存在がありました。
サンバの発祥はブラジルのバイーア州
ブラジルにおいて奴隷貿易の玄関口となったのが、16~18世紀にブラジルの首都であったバイーア州のサルバドールという街。約9200回の航海により480万人もの黒人奴隷がブラジルに運ばれ、彼らはブラジル各地で過酷な労働を強いられました。
黒人奴隷たちは自国のルーツを守ろうと、アフリカ起源の宗教(カンドンブレ)、打楽器のリズム(バトゥッキ)、踊り(ウンビガーダ)などを実践。ヨーロッパ人の目を盗み、彼らのアイデンティティを守っていたのです。
「ブラジルのアフリカ」とも言われるサルバドールは、今でも住民の大半がアフリカ系黒人だよ。
サンバが花開いたのはリオデジャネイロ
ブラジルで奴隷制が撤廃されたのは1888年のこと。それまでブラジルの内陸部などで労働を強いられていた黒人奴隷たちは、リオデジャネイロの都市整備計画に伴い、新たな仕事を求めてリオデジャネイロにやってきました。
この時期に彼らが住む場所を作ろうとして山を切り開いたのが、現在のファベーラ(スラム街)の始まり。ファベーラを訪れてみたいという方は『ブラジルのファベーラとは?個人で観光すると超危険な理由』も併せて参照してください。
黒人音楽と白人音楽が混ざってサンバの土台に
大都市圏に移り住んだ黒人労働者は、アフリカの地から引き継いできた文化を守るべく、アフリカを起源とする音楽を奏で続けました。中でもチア(ポルトガル語で「おばさん」の意)と呼ばれる女性が主催するパーティーは、彼らにとって音楽を奏でる絶好の機会に。
こうしたパーティーの参加者にはヨーロッパの白人階級もおり、黒人ルーツの音楽と白人階級が好んだいた音楽が融合することになりました。こうしてサンバの土台が築かれたのです。
当時はアフリカ文化を蔑むヨーロッパ階級も少なくありませんでした。一部の白人階級が「社会的な先入観」を捨ててアフリカ文化に歩み寄ったことで、サンバは生まれたのです。
ブラジルで最初に生まれたサンバの曲「電話で」
かくして1916年に生まれたのが、「初のサンバ」と称されるPelo Telefone「電話で」という曲です。チア・シアータという「おばさん」の家で原曲が作られ、ドンガ、ピシンギーニャ、ジョアン・ダ・バイアーナ、シニョーなど、当時のブラジル音楽家界を代表する多くの作曲家が携わったと言われています。
1920年代になるとブラジルではレコード産業も発達し、Pelo Telefoneは瞬く間にブラジル中でヒット。キリスト教のお祝い事であるカーニバルでも、徐々にサンバが導入されるようになりました。
サンバの語源は、アフリカのアンゴラの伝統音楽「センバ」に由来していると言われているよ!サンバの起源には諸説あるけど、アフリカルーツであることは間違いなさそうだね。
ブラジルのサンバはリオのカーニバルだけじゃない
その後、サンバは様々に形を変えながら発展していくことになります。日本人のイメージするサンバは、あくまでその種類の一つに過ぎません。
日本人がイメージするサンバ:サンバ・エンヘード
日本人がイメージするサンバは、ブラジルでは「サンバ・エンヘード(Samba Enredo)」と呼ばれます。これはリオのカーニバルのようにパレード形式で奏でられるサンバで、何百人単位で打楽器を叩くため、とにかく大音量です。
リオのカーニバルについて詳しく知りたい方は『【2020年最新版】リオのカーニバル時期&場所~基本情報まとめ~』も併せて参照してください。
サンバチームはエスコーラ・ジ・サンバ「サンバの学校」と呼ばれ、毎年12チームが優勝を争うよ!
ブラジル人にとってのサンバ:ホーダ・ジ・サンバ
一方、ブラジル人が「サンバ」と聞いて連想するのが「ホーダ・ジ・サンバ」です。日本語にすると「サンバの輪」という意味で、それぞれが楽器を持っち寄ってサンバを奏でるというのが基本のスタイル。
リオのカーニバルのサンバ(サンバ・エンヘード)に比べると、ホーダ・ジ・サンバの方がブラジルの日常に根付いていると言えるでしょう。また、少人数で演奏するため音量も大きくなく、曲調もゆっくりとしているのが特徴です。
ブラジルに住んでいたころは、毎週のように街中でホーダ・ジ・サンバのイベントが行われていました。
ブラジル人なら絶対知っているサンバの有名曲5選
それではここからは、ブラジル人なら誰もが知っているであろう、サンバの超有名曲を5曲ご紹介します。これを知っておけば、身近にいるブラジル人ともすぐに仲良くなれますよ!
サンバの有名曲 1:Trêm das onze(Adoniran Barbosa) 1964年
往年のサンバとしてブラジルでは超有名なTrêm das onzeは、「11時の電車」という意味。「11時の終電に乗るから帰らなきゃ」と恋人に告げる曲で、「僕は一人っ子なんだ」、「僕が帰らないとママが寝ないんだ」とマザコン感が垣間見える曲です。
ブラジル人の男性は、日本人からするとマザコンが多いのも事実。気になる方は『【男女別】ブラジル人の恋愛観 | 恋人未満の「お試し期間」とは?』も併せて参照してください。
サンバの有名曲 2:Brasil Pandeiro(Novos Baianos) 1972年
Brasil Pandeiroは、ブラジル国民やサンバなどを賞賛する曲。パンデイロはサンバに使われるタンバリンのような楽器で、「今こそブラジル国民の価値を世界に示そう」という強いメッセージが込められています。
サンバの有名曲 3:Aquarela Brasileira(Silas de Oliveira) 1964年
Aquarela Brasileiraは「ブラジルの水彩画」という意味を持つ往年のサンバ。1964年に名門エスコーラ・ジ・サンバ(サンバチーム)のImperio Serrano(インペリオ・セハーノ)がテーマ曲に用い、歌詞の中ではブラジルの美が称賛されています。
サンバの有名曲 4:Não deixe o samba morrer(Alcione) 1975年
アルシオーネのNão deixe o samba morrerは「サンバを死なすな」という意味の名曲。現在でも数多くのサンビスタにカバーされ、ファベーラで生まれたサンバという文化を大切にしようという強い意志が歌われています。
サンバの有名曲 5:Foi um rio que passou em minha vida(Paulinho da Viola) 1970年
最後にご紹介するのは、パウリーニョ・ダ・ヴィオラという超有名サンビスタのFoi um rio que passou em minha vidaという曲。直訳すると「あれは私の人生に流れる川だった」という意味で、これはパウリーニョ自身が属しているPortela(ポルテーラ)という名門サンバチームを賞賛したものです。
国際的に有名なブラジル音楽について知りたい方は『ブラジル音楽の超有名曲7選 | 各ジャンルの特徴まとめ』も併せて参照してください。
ブラジルの「本当のサンバ」はホーダ・ジ・サンバ
サンバはブラジルとは切っても切り離せないもの。今でも12月2日はサンバの日に制定されており、これはブラジルの有名作曲家であるAry Barroso(アリ・バホーゾ)が初めてサンバの聖地バイーアを訪問した日に基づいています。
日本人がイメージするリオのカーニバルの「サンバ・エンヘード」も素敵ですが、やはりブラジル人にとってのサンバは「ホーダ・ジ・サンバ」。ぜひこの機会に、今まで知ることのなかった「本当のサンバ」に触れてみてはいかがでしょうか?
ブラジルをもっと詳しく知りたい方は『ブラジル料理20選!定番から家庭料理まで元在住者おすすめを解説』や『ブラジル国旗の由来。3つの色・星・文字が意味するものとは』も併せて参照してください。
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